はじめに

生死の狭間で、人間は何を考え、何を行い、何を希望とするのか。

言わずと知れた世界的ベストセラー、フランクルの「夜と霧」。
アウシュビッツの壮絶なる体験を克明に綴っておられます。

これ!

フランクルはこんな人↓

倫理・道徳はどこまで保持できるのか

フランクルは言います。

真の倫理・道徳というものがあるとすれば学校で教えることなんかまずできない
学校で教えることができる倫理・道徳は「きれいごと」の枠組みに収められるだろう。

フランクルがそう語るのも無理はありません。
それはこんな一節からも読み取れます。以下。

・・(中略)・・収容所暮らしが何年も続き、
あちこちたらい回しにされたあげく、1ダースもの収容所はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。
そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。
何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。
わたしたちはためらわずに言うことができる。
いい人は帰ってこなかった、と。

「いい人は帰ってこなかった」
この言葉には参りました。。あまりに切なすぎます。

しかしながら人を蹴倒さずには生きていけない状況下に置いても、
倫理や道徳を重んじる人間がいたことに、私はこの世の「救い」を見ます。

選択する上での指針

フランクルの遺した有名な言葉があります。

人間は、人生から問われている存在である

— V・フランクル

確かに、人生において選択を迫られるシーンは無数にあります。

例えば、

  • 「世間に迎合すべきか、自らの信条に従うべきか。」
  • 「安全策をとるか、リスクを選ぶか」
  • 「自分を優先すべきか、他者を優先すべきか。」

等など。

 

選択する上での指針として、
「神との対話」の著者、ニール・ドナルド・ウォルシュは、
以下のような問いを投げかけるように諭しています。

その時「愛」であればどうするだろうか。

 

しかしそれでもまだ選択に迷うようであれば、
その時の「素直な気持ち」で選ぶことが最良の選択になるのではないでしょうか。

自分自身を欺いた選択をすれば、あとあと後悔が残ってしまうでしょうから、
必然的帰結として「本心で選ぶこと」、それしかありません。

 

また、迷った末に結局動けなかったというのも「素直な」選択の一つです。
そこに成長がないどころか多分にあります。
あらゆることを考慮して動けないのは、人として優しい。
むしろ誇るべきことでもあります。
そもそも葛藤があるからこそ成長できるのです。
葛藤なきところに成長はありません。

総 評

  • 読みやすさ
  • わかりやすさ
  • コスパ
  • 啓発度
  • 信頼性
  • 即効性
  • 実用度
4.5

総 評

生きる勇気が湧いてくる一冊。
読んでいて損はなし。

 

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