生きる意味、存在理由というものは本来ありません。
意味づけというものは後づけでしかないのです。

意味がないというと、がっかりする人がいますが、
それは「意味がない=絶望」という構図から脱却できていません。

 

例えば、
仏教では悟りのことを「あきらめ」と表現することがあります。

「あきらめ」というと、
あまりに消極的なイメージが付着している印象を受けますが、
実はそうではありません。

全くの逆です。

強いていうならば、
「消極的なあきらめ」ではなく、「積極的なあきらめ」を意味します。

 

では、なぜ積極的にあきらめれるのか?

それは、結果にこだわることがなくなるからです。
本来、結果自体に善し悪しはありません。

一切の観念という縛りから開放されれば、
今まで以上に積極的になれます。
おのずと、本当の自分が出せるようになるのです。

 

仏教の真髄は、「行ぜんと欲せば、即(そく)行ぜよ」。

人生の時間は限られています。
あなたが本当にやりたいことをどんどんしていきましょう!

 

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