言葉よりその人の行為に宗教はある
「枯れた桐」の喩え
「列子」という書物にこんな喩え話がある。
ある家に枯れた桐の木があった。
隣のおやじが、
「枯れた桐は縁起が悪いんですよ」と教えてくれた。
男はさっそく切り倒した。
すると隣のおやじは、「たきぎにもらえないだろうか」とたのみにきた。
男はいやな顔をした。
「あいつは、たきぎがほしくて人に木を切らせたのだな。隣同士だというのに何たることだ。まったくけしからん」— 《中国の思想〔Ⅳ〕老子・列子》p272
本当の思惑は別のところにある。つまり我田引水というわけだ。
う〜ん、実に腹立たしい。
こんなことが日常何度も積み重なってくると、
人間不信に陥るんだろうな。
知的自己防衛のすすめ
先の喩えのような個人レベルでのやりとりもしかりだが、
社会を見渡せば、大なり小なり詐欺行為が横行している。
例えば宗教の勧誘。
「あなたの不運は先祖の悪業に由来します。
でも入会してご本尊様を拝めば万事解決してくれます!」
みたいな。
しかしこんな陳腐な売り文句でも、入っちゃう人はいるんだよなぁ。
(一部の)新興宗教系は弱みにつけこんでくるのが上手だし、
またそんな人間をターゲットにするから。
純粋な人間をたぶらかす輩は毛頭許せないことだが、
それなりにこちらも知的自己防衛して備える必要がある。
そうですねぇ、
私ならそんな弱っている人間に言葉を掛けるとしたら、(多少思いつきだが)
「哲学をしなさい」
なんて言ってみるかな、(北方謙三風に、フフww)
人によっては劇薬になるけど。
まぁ哲学書を読みなさいということでもあるんですが、
哲学って、あらゆるところから疑ってかかるから、
読んでいるうちに詐欺への免疫がつくんですよね。
私もそこそこしか哲学書は読んでないですが、
確実に物事の捉え方のバリエーションは増えましたし、
現在の思考形成のバックボーンとなっています。
でもニーチェみたいに追求しすぎて発狂までしたら、
だめよ〜ダメダメ。
(言ってみたかった(汗))
参考書籍
本記事内の「列子」の引用はこの本から↓
また哲学の入門書としては、
前回の記事で紹介した野矢茂樹氏の本もよいですが、
その他これなんかどうでしょう。
森岡正博氏の本。
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