そもそも、ブッダに霊感はあったの?

皆さん、ハワユー!

坊主の空心です。
英語はすこぶる苦手です。

 

さて、昨日の記事、
【書評】秘儀参入者必携の書「霊界の境域」(神秘学叢書/R・シュタイナー)格言まとめ
の中でも少し触れましたが、(終わりの方で)

「なぜブッダは、“霊魂はあるのか?”という弟子達の質問に対して、黙して語らなかったのか?」

これ、なんででしょうね?
私も前々から気にはなっていたんですよね。

 

ある人は、

って言います。

 

また、ある人は、

って別次元のツッコミいれる人もいますが、
一応そこは、この世に人間として生まれてこられたようですよ(^^)

ちなみにブッダは尊称であって、実の名は「ゴータマ・シッダールタ」。
(↑子供~大人までこの質問が多い。やっぱ手塚治虫の「ブッダ」を読んじゃうと、なおさら架空の人って思いますよね)

 

それはさておき、果たしてその真意はいかに!?
次節でもう少し深堀りします!

二律背反

ブッダ

では続き。

ブッダがなぜ霊魂について語らなかったのか?

以下、本件に関しての一考察となりますが、
仏教学者の故・増谷文雄氏が「知恵と慈悲「ブッダ」―仏教の思想〈1〉 (角川文庫ソフィア)」の中で、このように述懐されています。

しかも、彼らが解答を与えなかった理由は、愚鈍にして答えなかったからではなかった
そこには、もっと積極的な理由があった。
彼らは、それらの論題が、今日の哲学的用語をもって言えば、二律背反のそれであることを知っていたにちがいないのである。
たとえば、もし「他世ありや」と問うものがあれば、ある者は「あり」と答え、またある者は「なし」と答えるであろう。だが、その二つの答えは、いずれも一つの憶測にすぎないのであって、いずれが真であるかは誰にもこれを証することができない。いや、さらにいえば、その二つの解答は、それぞれ同じ権利をもって主張しえられるのである。
とするならば、そこではむしろ「判断の中止」をこそ主張すべきではないかとするのが、この二人の思想家のとった立場であったにちがいないのである。」

— 仏教の思想1「知恵と慈悲」<ブッダ> P90

まぁ確かに、ブッダに霊感があったにしろなかったにしろ、
それを裏付けることは誰にもできません。
できないことがわかっているからこそ、ブッダは弟子の問いに応答しなかった。

このように考えるほうが個人的にはしっくりくるのですが、
皆さんはいかがでしょうか??

↓参考本

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter で空心をフォローしよう!