はじめに

空心です。

最近よく夢を見るのですが、
どの内容もBADなものが多いんです。
ハッピーな夢って、あんまり見ないものなのね。(私だけかな・・素行が悪いかも)

さて、本日の書評記事は
玄人向けになりますが、
R・シュタイナーの「霊界の境域」です。

↓この本

個人的に気になった箇所をシェアいたします。

秘儀参入者必携の書

秘儀参入ってよくわからん、霊的なものに興味が無いという方であっても、
シュタイナーの言わんとする精神修行は日常生活にそのまま適用できます。(全部じゃないですが)

以下、ページ順で抜粋(要約有り)、引用。

魂の力を養えるのは感覚界のみ

魂は霊界に参入するのに十分な力、霊界に参入後も自らの独立性を失わず、四大元素界及び霊界において、思考のみならず実体をも意識領域の中で体験できる力を自らの内に見出す。この力は感覚界での生活の中でのみ蓄積可能であるといふことも魂は理解する。魂は自らの宇宙的歩みの中で感覚界を通過してゆく必要性を理解する。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p52

初期の霊視はかすかなもの

超感覚的のかすかな始まりを理解するために、超感覚的事象についての知識を形成することなしにも魂は超感覚的体験を持てる、といふことに注意しておくことは特別重要である。
霊視体験は最初、非常にかすかに現れる。修行者はしばしば、手で触れられるような霊体験を希求し、掠め去るような霊視の印象を重視しないが、霊視体験は手で触れられるようなものとして生じることはない。霊視体験は現れると同時に忘却の彼方へ消え去る。霊視の印象は、まったく注意されぬかすかな雲切のように意識に現れる。大抵の人は霊的観照を全く違った風に期待しているので、霊界を見出すことができないのである。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p58

慈悲なくして秘儀参入はありえない

(※要約)霊視力が普段の日常生活にないからこそ、慈悲・愛の訓練がしやすい

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p65

内省こそが霊的判断力を養う

霊的な領域における「現実」と「幻覚」を区別するには、ただ経験によるしかない。このような経験は、静かで忍耐強い内面生活の中で得られる

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p114

霊的世界を夢想する

強いてこの世界(霊的な世界)を何か感覚的なものと比較しようとするなら、聴覚による音響世界のみがそのような比較に耐えられる。・・意志や植物が「霊の言葉」となる。(中略)「草が生長する様を霊的に聴取する」

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p116

没我になる必要性

・(※要約→)「私はあなたである」とハッキリした自覚がある。すべての事物の内に生きるのである。「事物の内部に入り込むためには、まず自分自身から脱け出なければならない。他の存在の「自己」、「自我」と融合するためには、「没我」にならなければならない。
・事物を外側からのみ考察するのではなく、事物の内面に入り込んで観察することを神秘学徒は学ばなければならない。
・色彩表象像の外ではなく、その内部に自分を感じ、その色彩像の発生に関与しているという意識を持つのである。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p118、p143、p162

単独での霊的修行の危険性

独自に霊的修行に着手すべきではない。霊的世界と霊的修行の経験を持っている人物のみが、修行者の魂の働きが体から霊的な方向へと転じたときに生じる現象を的確に判断できるのである。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p120

ブレない軸を形成する

感情を滅するのではなく、上下する生活の波の中に確固とした中心点をつくる。修行者は絶えず、自分自身の手綱をしっかりと持つのである。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p126

恐怖や不安は克服しなければならない

恐怖や不安を抱いた時、魂の力は失われる。恐怖心や不安などを断ずることによって、神秘学徒は魂の力を貯える。そして、神秘学徒はこの力を他のものに使用する。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p152

日常から遊離せずして霊的修行に励む

物質界から出発せずに存在の高次の領域に覚醒した者は人生から疎遠になる。周囲の世界への理解も関心も持たぬ隠者となるのである。この道を中途半端に歩んだものは物質界の体験を軽視し、自分を高貴な者と感じる。自己の内に硬く閉じこもり、霊的な利己主義者になる。誘惑は少なくない。霊界への参入を志す者は正にこの点を留意すべきである。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p169

自我を損傷する霊媒の危険性

(中略)インテュイションにおいて初めて、自己完結的な存在そのものと融合する。自らの実体が消え去るのではなく、完全に自分を保持している時にのみ霊的存在と融合できる他の存在への「自己消却」はすべて悪に由来する。高度に確立された自我のみが、損傷なく他の存在と合一するのである。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p171

身体に残る痕跡

エーテル組織の中には、外界の模造が肉体組織を満たす内的活動として生きている。アストラル組織の中には、地上に受肉する以前の存在の残像が生きている。自我実体の中には、人間の永遠の存在の核が生きている。

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p241

ペルシアのキリストの伝説、寓話

「犬の死骸が道に横たわっておりました。この道をキリストが通ってこられました。誰もがこの犬の醜い姿に眼を背けました。ただキリストだけはこの犬を見て、『なんと美しい歯だろう』と感心されました。」

— 《霊界の境域》R・シュタイナー、p127

仏教徒から見たシュタイナー

私、僧侶なのですが、仏教的に見ると霊的な世界はタブー視されているところがあります。

おそらくは、仏教説話の中でもありますように、お釈迦様が弟子からその類の質問をされた時に「無記」(語らず)という姿勢で対応したところに端を発するようです。
無記の理由としては、「好奇心の喚起は精神修行の妨げにしかならない」とも一説で言われていますが、事の真相まではわかりません。

ただ個人的に思うところは、釈尊在世当時とは時代背景が違いすぎますし、また思想・哲学自体も随分と発展を遂げ、人間の知的好奇心も広がりをみせています。ともすれば、仏教思想では到底納得できないエコノミストもいるはず。仮に霊的な思想によって心の迷いが晴れるならそれはそれでよしかなと。

勿論、霊的真理の教相判釈(教判)が難しいことは言うまでもありません。人類史上多くの霊能者が輩出されたわけではありませんし、ましてやシュタイナーのように資料を残している人物は稀です。そもそも真贋の見分けようがないのですから、霊的思想はいつも蚊帳の外に置かれ無視されるというのが現実でしょう。

シュタイナー思想には賛否両論ありますが、私個人としてはシュタイナーの人間性に共鳴するものがあります。

丁寧かつ誠実味溢れる言葉遣いは紳士的であるし、
シュタイナーの人間教育に至っては、いまなお脚光を浴びていることを考えても、
決して偏った思想の持ち主ではなかったことは十分伺えます。

総 評

R・シュタイナーに関するおすすめサイト

シュタイナー思想、神秘主義に興味がある方はこちらのサイトがオススメです。

また管理人の加藤夏樹氏によるメルマガ「魂の神秘学」も大変勉強になりますよ。
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