お守りや御札って、ぶっちゃけ意味あんの?
御札って持ってて意味あるんですか?
この手の質問はよくあるんですよね。
「お線香何本立てたらいいの?」
の次くらいに多いですww
とりあえず、
玄侑宗久さんのアンサーが秀逸でしたので、
以下引用させていただきますね。
「お守りやお札も、そりゃ持てばいいですけど、持ってたからって、別にあなたの考える幸運が訪れるとは限りませんよ。
お守りやお札は、あなたがどんな状況に陥っても、それが不幸だと即断しないように持つものです。
厄落としだってそうです。何が厄なのかは、すぐにはわかりません。
文殊菩薩が、汚い乞食の格好でやってくるように、疫病神は福の神みたいな顔つきでくるものです。そんな判断を留保し、冷静に流れを見極め、心をニュートラルに、元気に保つ。お守りやお札を見たら、そう思ってください。
その上で事故に遭って怪我をしても、あるいは死んでしまっても、それは仕方ないじゃないですか。死んでしまったらプロセスもへったくれもないと思われるでしょうが死ぬときは死ぬ、というのも、たぶんプロセスです。
せっかくお守りやお札を持つのなら、どうか死ぬときもすべてを甘受して、元気に死んでいってくださいね」
— 《お坊さんだって悩んでる》玄有宗久、P235~
オブラートに包んでない感がいさぎよいっすね~。
でもホントそうだと思います。
「この御札、オーラスポットで購入したのですが・・」
中にはこう言いたくなる人もいますよね。
もちろん、強力なオーラスポットで購入した御札などには、
特別な霊力が篭っているものもあるかとは思います。
例えば、力のある神主さんとか僧侶とかが祈願した御札とかですね。
特に否定はしません。
でも、その御札手に入れたあとで、
もし盗難にあったらその御札を疑ったりはしませんよね?
もし火事にあったらその御札を疑ったりはしませんよね?
もし事故にあったら御札の効力を疑って、またオーラスポット巡りをするのではないですか?
つまり、被害者意識とか、先入観、固定観念が打破できないまま、
幸せを追い求めることやってても堂々巡りに過ぎません。
(とはいえ、そうさせるのも業なんでしょうが、、、)
まぁ良寛さんじゃないですが、
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。」
という覚悟はいつでも持っていたほうがいいと思います。
かと言って、
悲観的になる必要は全く無いですよ~。
1秒先もわからないのだから、
わからないなりに人生を謳歌すればいいわけですから。
なら、どうしたらいいべさ
ですので、大いにお守り・御札をコレクションし、
オーラスポット巡りをしてください(笑)
素敵な出会いがそこにあるかもしれませんし。
あ~すいません、
結論が振り出しに戻るようですが、
一応は、内省を促す意味で否定するところから入らせてもらいましたm(__)m
ただ最後にこれだけは言っておきます。
「必死になるのではなく、あくまでも楽しんで、ね。」
(これ、お守り云々より大事なこと。なにごとも深刻になるべからず)
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2 thoughts on “お守りや御札って、ぶっちゃけ意味あんの?”