空心です。

前回は「因果同時」的な生き方について、
少しだけ触れました。

究極的には原因も結果も刹那的に起こっている。
ですので、今この瞬間を精一杯生きる、
これが因果を超えた生き方です。
(厳密には時間の観念がある限り不可能ですが)

究極的には生きる意味はない。存在理由もない。
私もここで随分苦しみました。一生問い続けるとさえ思っていました。

しかし問い続ける内に、いつの間にか「問いのベクトル」が切り替わっていたのです。
決して無理して切り替えたのではありません。

それは、
「なぜ生きるのか?」

ではなく、

「どのように生きるのか?」という実存的な問いへの切り替えです。

 

生きる意味を考えすぎて行き詰まった人もいるでしょう。

意味を考え続けることが楽しいというのなら全く問題ありません。
とことん意味追求する姿勢からおおきな気付きが生まれるからです。

しかし疲弊しているのであれば、
問いの立て方を見直す時期がきているのかもしれません。

 

いずれにしろ、「己事究明」。

しっかりと「本来自らが求めていることを明らかにし、そこに向かって邁進する」ことです。

それには内観、瞑想など自らと向き合う時間を作る、
沈黙が苦手であれば、通勤時間や散歩中に自己観察に努めてもいいと思います。

 

まぁ、人生気楽にいきましょう。

すべては、なるようにしかなりませんから。(なんじゃそりゃ笑)

 

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