価値観は人それぞれ

どうも、
寺リーマンこと、僧侶の空心です。

さて、さきほど
こんなコピーが目に入った。

彼女が一時期節約にハマってて面倒臭かった。
彼女「近くのスーパーより、そこから10分くらい歩いたところにある店の方が20円くらい安い!」
俺「20円のために10分歩くの?」
彼女「もちろん!」
俺「んじゃ20円あげるから10分歩いてきてよ
彼女「はぁ?歩くわけねーだろ◯すぞぼけ」
なんでだよ…

– たかが数百円ぐらいの差で節約するやつwww – VIPPER速報 | 2ちゃんねるまとめブログ

何気に人間の本質をつくような話でしたので、
思わず引用しましたが、

おそらく彼女は節約を目的としていながらも、
そんな「やりくり上手な自分自身に満足感を得ている」ということです。

節約をある種のゲームとしながら、
自分の決めた基準をクリアしていくことが楽しいのです。

だから20円もらって、
目的なく10分歩くのでは意味合いが異なります。
彼女はそんなゲームを鼻からしてないのです。
それでは満足感をえることはできません。

 

ここから読み取れることは、

  • 価値基準は人それぞれである
  • 自分が良くても、他人が良いとは限らない

ということです。

では、互いの価値観に介入すべきではないのか

続いて、
もう少し結論を深堀りしたいと思う。

では
「価値観は維持し合い、尊重し続けるだけでよいのだろうか?」

それは半ば「無関心」を引き起こすものではないだろうか。

考えるに、
人間というものは、お互いの価値観を尊重し合いつつも、
適度に気づきを与えあうことが
大切なのではないか。

先の対話のように、
価値観に揺さぶりを与えるような指摘は時に必要な気がします。

人間の求められる使命とは

使命

人間というものは、「人の間」的な存在です。
まさに相互依存によって存在している「縁起」的存在。
独立して存在しているものなどありません。

そう考えていくと、
人間の使命というものは、
社会性を高めていくことに終結していきます。

「いかにして共生していくのか」

このことを人間は、
壮大な宇宙から「試されている」ような気がしてならない、今日このごろ。

 

追記:
最初のゆるいコピーから、
いつのまにか「人間の使命」の思索にまで発展。。すまん。。

 

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