人生は諦めたほうがうまくいく!?

なんて言いますが、これは確かにそうで、
決して厭世的なものの見方ではありません。

これは絶対的な「他力本願」の姿勢です。

委ねる、お任せの姿勢です。

大いなる意志に委ねることができるから、
能動的になれるのです。

「信解脱」「慧解脱」とは?

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お任せというと、
情けない、だらしないなんて言う方もいますが
そうではありません。

これは仏教でいうところの「信解脱」という易行道を指します。

わからないものはわからない、
だから全部神仏に委ねてしまうんです。
とても楽でしょ。

一方で、論理思考の人は「信じる」ことが難しい。
なぜなら「意味」を知ることが先だから。
「意味」がわかってはじめて信じる態度。

この道は「慧解脱」といって、
四諦・八正道・十二縁起といった仏教の難しい教理を体得して行く道です。

これ、どちらの道でもいいんです。

どっちが上とか下とかない。

どっちでもOK。

お経の意味もわからんが、無心で唱え続けるおばあちゃんは、信解脱の道。
ひたすら、頭陀行(※目茶苦茶きつい行のこと)や刻苦勉励してブレイクスルーする修行者は、慧解脱の道。

どっちの道でもいいんです。
あなたに適している方でいいんですよ。

悟りの道は人それぞれ

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私は左脳人間なんで、信じるまでには時間がかかるわけです。
だから、哲学書や思想本を読みあさりました。
「意味がわからないと信じれるわけないじゃん!」なんていつも思ってましたから。
逆に、おばあちゃんに言いたかったぐらい、なぜ「信じれるの??」ってね。

しかししかし、
本を読んでも読んでもブレイクスルーはできず、
余計に迷妄状態に・・・
(おこがましいですが)慧解脱の道はとても険しかった。。

一生の間、存在理由を問い続けると覚悟していました。

しかし、いつの間にか「腑に落ちた」んですね。
あ、存在理由、生きる意味ないわって。

気づいてからは迷いがなくなりました。

古本代には相当つぎ込みましたけどねww

いずれにしろ、
滝行とかお経三昧とか、
難しい本が読めなくても全然問題ないのです。

信じること(だけ)で「悟る」ことはできます。

神仏(かみほとけ)を信じるというよりは、
自分を信じる」ということでいいと思います。

ですので特定の宗教に入信する必要もありません。

人生を楽しむことを忘れずに

とにかく、どっちでもいいんですから、
もっと楽に構えて、
心に余裕を持つことから始めましょう。

別に、ストイックに悟りを目指す必要もないです。
生きてるだけでそのレールに乗ってますから。

人生をおおいに楽しむことでいいんじゃないかな。

信じ続けることが幸せならそれもOK、
勉強し続けるのが幸せならそれもOK。

その姿勢こそが悟りそのものであるかもしれません。

 

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