「何のために生きているのか。」

一度この問いに捕まるとなかなか振りほどくことは至難の業です。
「開き直り」「あきらめ」といった気休め程度の答えぐらいでは到底納得できないのもご自身が何より知っているはず。
そんな迷妄状態のあなたに、一つの”脱出”の契機となるやもしれない偉大な思想家のお言葉をお送りしたいと思います。

今回は、心理学者・ヴィクトール・フランクルの思想を取り上げてみます。

フランクルはこんな人↓

以下の本を参考↓

フランクルが考える「人生の意味」

要点を抜粋します。

「“何のために生きているのか”という問いの答えは、
私たちが何もしなくても、もう既に、与えられてしまっている

「私たちがなすべきこと、おこなうべきことは、
私たちの足下に、つねに、
そしてすでに送り届けられてきている「意味」を
発見し実現していくこと。」
(『人生に意味はあるか』諸富祥彦 より)

人間は人生から問われる存在である」(フランクル)

まさに逆転の発想。
しかし、懐疑的な人間にとっては、どうしても上手く丸めこまれたように感じるかもしれません。

人間は人生のほうから問われている

フランクルではないのですが、聖・アウグスティヌスのこの言葉が人生の意味を紐解くヒントとなるかもしれません。

誰を愛しているのかが分かりさえすれば、
自己への問いは半ば問かれたも同然である

いかがでしょうか?少し思い浮かべてみてください。

私は人生において何を”基準”にして人を愛してきたんだろうか。
その基準はその人の持つ”人間性”であろうか。
またはその人の”外見”であろうか。
またはその人が持つ”名誉”であろうか。

真摯に人生を振り返ればおのずとその答えは明るみになる。
そして出たその答えを今後あなたがどのように捉えていくのか。

ここまできてはじめてフランクルの「人間は人生から問われる存在である」という言葉の重みが伝わってきます。

 

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