どうも空心です。

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さて今回は、

ヴィクトール・フランクルの名著「それでも人生にイエスと言う」の中から、

「ある老医師とフランクルとの対話」がとても印象深かったので共有いたします。

この本から引用↓

その老医師は、二年前に妻をなくしてからというもの、
そのショックから立ち直ることができず、最近はうつ状態に陥っていました。

老医師
「妻のいない人生なんて、もうないも同然。生きていったって、仕方ありません」

フランクルはその問いに、
「しかし、先生、よく考えてごらんになってください。もし、仮にですよ、奥様よりも先生のほうが先に亡くなってしまったと想像してみてください。つまり、奥様のほうがあなたよりも長く生きていたとしたら、何が起こるかを想像してみてほしいのです」

老医師
「もちろん妻は、苦しんでいると思います。ちょうど、今の私とおなじみたいにです」

フランクル
「おわかりでしょう、先生。奥様はその苦しみを免れることができた。そしてその苦しみから奥様を救ったのは、先生、あなたなのです。つまりあなたは今、もし奥様が生きていたら味あわなくてはならなかったその苦しみを奥様の代わりに、苦しんでおられる。ですから、先生、あなたの苦しみには奥様が味あわなくてはならなかったかもしれないその苦しみを肩代わりしている、という意味、つまり奥様のための犠牲、という意味があるのです」

老医師はこのやりとりの後、黙ってフランクルの手を握り締め、診療室を去っていったといいます。

パーフェクトな諭し方とはこのようなものか。

こんな心ある諭し方が自然にできるようになりたい、今日このごろ。

フランクルはこんな人↓

 

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