摩訶止観「円頓章」とは?

空心 です。

天台大師・智顗(ちぎ)の教えを口述した
「摩訶止観」という書の序文に
円頓章(えんどんしょう)」という
悟りの境地を現した句があります。

天台大師・智顗はこんな人↓

円頓章 漢文

円頓者 初縁実相 造境即中 無不真実
繋縁法界 一念法界 一色一香 無非中道
己界及仏界 衆生界亦然
陰入皆如 無苦可捨 無明塵労 即是菩提 無集可断
辺邪皆中正 無道可修 生死即涅槃 無滅可証
無苦無集 故無世間 無道無滅 故無出世間
純一実相 実相外 更無別法
法性寂然名止 寂而常照名観
雖言初後 無二無別 是名円頓止観
当知身土 一念三千 故成道時
称此本理 一身一念 遍於法界

詳細な意味に関しては、
こちらのサイトに妙訳がありましたので
以下勝手ながら引用させていただきました。

円頓章 全訳

割りと長文です。
ご留意ください。

※不明な仏教用語に関しては
必要に応じて下部の注釈をご参照下さい。

円頓というのは、

仏教の初心から、

生きているありのままのすがたが、

真実と縁起という関係において

存在していることを、

仏教的認識によって

自らのものとする観法修行

していくことである。
 

真実を認識し

理解するための対象は空であって、

絶対的存在はないとされるから、

あらゆるものは

仮の存在であると把えられ、

空にも仮にも執われない

中道ということになり、

このような意味であらゆる生存や

現象の外に真実というものはなく、

あらゆる存在がそのまますべて

真実でないものはないとさとるのである。
 

つまり初発心においてただちに

究竟の真実在に到着している

ということを円頓というのである。
 

あらゆる存在や現象も

相依相関の縁起によって

存在しているから、

わが一念

つまり一瞬一瞬のいまの心が

そのまますべての世界に

連なっているのである。

だから、たとい一枝の花も

一つまみの香も、

どの存在を一つとってみても、

それらはすべて

中道真実にかなっていないものはない。
 

こうして、自己の世界も

仏のさとりの世界も、

生あるあらゆるものの世界も、

同じく真実にかなっていて、

まったく別のものではない。
 

釈尊は人生は苦である

苦諦を説かれたが、

人間存在を成立たせている要素である

五蘊はみな真如であるから、

苦も苦であるからといって

捨てさるべきではない。
 

同じく集諦についても、

生と死に流転している

根本原因といわれる無明や、

迷いや執われの煩悩は、

煩悩すなわち菩提と観法する

円頓の境地からいえば、

苦の原因である世界の無常と

人間の執着も除き去るべきものではない。
 

さとりに到るための滅諦についても

かたよった二辺に執われ、

善行に反するよこしまな思想や行いも

そのまま中道であり正であると観法するときは、

とりたてて修行ということに執われることもない。
 

仏教の終局の目的の涅槃である

道諦についてもまた同様に

生と死に流転する人生そのままが、

生死すなわち涅槃であると観法すれば、

修行によって涅槃のさとりを

証するということもなくなる。
 

ただもっぱら有るがままの生存だけが

現実なのであって、

この迷いのままのすがたの外に、

別の世界としての

さとりの法があるわけではない。
 

あらゆる存在の本体である真理は、

寂然不動なるものであり、

これと一体である己れの心も

寂然そのものであり、

こういう側面を〈止〉と名づけ、

この真理性が法性として

寂然不動のまま同時にはたらきをもつ側面を

〈観〉というのである。
 

このように初発心とか

修行中とか表現されるが、

円頓の絶待妙からいうならば、

二つあるわけでなく、

また別のものであるわけではないのであって、

このような思考と実践が

円頓止観というのである。
 

だからこそ知るべきであろう。

この衆生世間と、

その住所である国土世間と、

それらを成り立たせている五蘊世界は、

三千の数によって表現された

一切すべての世界に

あまねく具現しているのである。
 

さとりを得たとき、

この一念三千の理にかなって、

わが身体もわが心も

あらゆる存在が仏法であり、

あまねく世界に遍満していることが

体得されるのである。

訳文注釈

注①
観法修行・・真理と現象を心のなかで観察し念じる瞑想の実践修行法のこと
 
注②
究竟・・「事物を徹底的にきわめる」の意。究極。
 
注③
初発心・・初めて菩提(ぼだい)を求める心を起こして仏門に入ること。
 
注④
四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)・・釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた「苦集滅道」の4つの真理(諦)のこと。
⇒詳細はこちら
 
注⑤
五蘊・・「集まり」の意味で、五蘊とは人間の肉体と精神を五つの集まりに分けて示したもの。この五蘊が集合して仮設されたものが人間。色受想行識。
 
注⑥
無明・・迷いのこと。
 
注⑦
法性・・すべての存在や現象の真の本性。
 
注⑧
絶待妙・・天台大師の法華経観。真実・真如を現す語。対語「相待妙」。
 
注⑨
三世間・・移ろいゆくこの世の現象世界、つまり世間を3種類に分類したもの。衆生世間とは、生命のある世界。国土世間とは山河大地など。五蘊世間とは、人間を構成し、世界を構成している要素(単なる物質的要素でなく、精神的なものを主としている)
 
注⑩
一念三千・・己の心に世の中が備わっているという意味。拡大解釈すれば、あなたの心が世界を作る(現す)、心の反映が現前にあるという思想。

まとめ

悟りの境地に関する記事として、

も合わせてご参照ください。

参考リンク

 

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