はじめに

空心です。

岡野守也氏(仏教心理学者)の著作「道元のコスモロジー」から、
(レビューというよりは)気になった箇所を抜粋・引用いたします。

この本↓

岡野氏はこんな方↓

抜粋・引用

※セクションの見出しは、本書の目次とは関係ありません。

悟るとは?

蓮

悟る(覚る)とこだわりがなくなる

誤解されがちのように、覚りを開くとどんなことにも動じなくなって、いろいろなことに感動することもなくなるのではない。
「しかも かくのごとくなり といへども」
つまりそれはそうなのだけれども、やはり、花が散るのは惜しく、雑草が蔓延るとうっとうしいと思うのである。とは言っても、凡夫がお金や地位や名誉や異性に愛着したり、政敵や商売敵や近所の意地悪な人を嫌い憎むのとはちがっている。覚った人は感受性が無くなるのではなく、過剰にこだわることはなくなる、こだわらないけれども深く感じる、深く感じるけれどもこだわらないという心のあり方になるのだ。
「身心脱落」とは、身心に対する執着、身心から出てくる執着が抜け落ちたということであり、そこで無情は決定的に克服されて無常に転換したのである。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P40、P45

悟ると「慈悲」が生まれてくる

「覚り」に到達すると、迷っていることでさえ、深い意味ではオーケーなのだということが見えてくる。見えてきたら、それを放置するのかというと、そうではない。そうはいっても、やはり覚ったほうがいいので、覚るようにと休むことなく衆生を教え導く、という慈悲行がそこから出てくる。全部オーケーだから放置するということではなくて、全部オーケー、よいということがわかったら、さらにそれをよりよくしようという気持が自然に湧いてくるのである。
一体の宇宙の一部としての「私」であるから、人は他人ではない。となると、悩んでいる人、迷っている人がいれば、もう自然に助けざるを得なくなる。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P90~

悟ると内発的な倫理が生まれてくる

道元によれば、覚りの言葉を聞いていると、自分の本心の側から「諸悪莫作(訳:悪を為すことなく)」という願いが起こってくるのだという。つまり、「自発性」である。覚りの言葉も、もちろんいちおう外から来るのだが、それに強制されるのではなくて、それが自分の心に深く染みてくることによって、自分の心の内部から、自発的に願いが起こってくるのである。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P?

悟ると「一つの方向に進んでいる」ことがわかる

宇宙で起こることはすべて、善も悪も超えていてオーケーなのだから、「それなら何をしてもいい」ということになるように思えるが、本当にそのことを深く自覚すると、悪いことはしたくなくなってしまうのが、宇宙と人間の自然・本質である。自然・本質といっても、きっちりと一本レールで全然ずれることがないという法則ではなく、宇宙には驚くほどの幅・可能性がある。それを短期間で見ると、あらゆる方向にずれることができるように見える。しかし長期間で見ると、紛れもなくある一つの方向に進んでいるように見えてくる

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P136~

自然法爾

確かに覚ってもやはり悲しい時は悲しい、落ち込むときは落ち込む。しかし、覚る前と覚ってからとでは、同じ落ち込みでも質が違うのである。どう違うかというと、覚る前は、落ち込みたくない、落ち込んではならないと思いつつ落ち込む。覚った後は、落ち込んだとき、「あ、落ち込んでいるな、落ち込んでいいのだ」と思いながら落ち込むのである。落ち込むこと自体にさえ根源的な肯定感があって、今はやはり憂うつだ、今はやはり悲しいと落ち込むことができる。同じといえば同じだけれども、根源的な否定感やどろどろした気持があって、そういう体験をするのか、それとも根源的には肯定感があって、悲しいときには悲しくていい、辛い時には辛くていいという気持で、悲しく辛いのか、そこに違いがある。覚っていても、焦る時は焦ってもいい。焦っていいと思いながら焦るのである。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P236~

終わりなき悟り

諸法実相の言葉の中身は、「乃能究尽(ないのうくうじん)」つまり能く究め尽くすことができるということである。究め尽くすとはいっても、それは静止的な究極状態があるということではなく、能動的に働いていく。「究尽なりといへども乃能なるべし」、究め尽くしてなお能動的に動いていくのである。私たちは「完成する」というと、それ以上何の手も加らなくなることだと思ってしまう。例えばふつう美術品が完成すると、あとは手を加えないのが完成である。しかし、宇宙はそうではない。ずっと変化し続けているその姿が、その時その時で完成の姿なのである。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P250

「三諦円融」を観ずる

絶対的には善悪は超えられている。しかし、相対的には善悪はしっかりある。このどちらが見落とされてもいけない。この両方の面がきちんと見えているのが、覚りの眼・正法眼なのである。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P251

参考:「三諦円融」(円融三諦)とは?
仏教用語。完全にとけあっている三諦 (3つの真理,3つの見方) 。隔歴 (きゃくりゃく) 三諦に対する言葉。空,仮,中の三諦は天台宗において展開され受継がれてきた独自の思想で,円融三諦とは,働きに応じて三諦の区別はあるが,その本体は一つで三者が互いに円満し合い融通し合って一諦がそのままただちに他の二諦であるという意味。(ブリタニカより)

個人を通して「宇宙」が悟る

道元の「覚り」では、個人は覚らない。では何が覚るのかというと、宇宙が覚るのである。というか、宇宙はもともと覚っている。しかし、その覚っている宇宙が、ある個人において意識的な覚りに到達するということはある。根源的に覚っている全宇宙が、ある宇宙の一部としての個人の心を通じて、意識的な覚りにいたるということが起こるのである。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P258

宇宙の理法とは?

線香穴

「縁起」

例えば話をしていて、相手がテーブルの上の本を指して、「これ、最近買った本なんだけど」と言うと、こちらの注意が本に集中するだろう。その場合、本がそこにあるのは、実はテーブルが支えているからだということはほとんど意識されない。まして、テーブルがそこにあるのは、床が支えているからだということは全くといっていいほど意識されない。もちろん、床は建物に支えられており、建物は地面に支えられており、その地面はまぎれもなく地球すべてにつながっているということも自覚されていない。しかし、その瞬間そこに、本が存在するためには、そうしたものすべてが不可欠なのである。何か一つなくても、そこに本は存在できない

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P148

仏性は開顕する必要がある

つまり、私たちは迷っていても、その迷っている状態の中で既に真理は与えられていて、しかし隠されているので、それを後で発見していくのである。なかったもの、与えられていなかったものを、もらうのでも、後で獲得するのでもなく、もともと与えられている。私たちが命を与えられているということは、もうすでにその裏に、潜在的に、真理の働きが与えられてしまっているのである。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P81

参考:法華経の「衣裏髻珠」の比喩(下記URLの5項目目) 法華七喩

「水と波」の喩え

過ぎ去るというのは、個人の意識があるときに、その個人にとっての変化の流れを記憶すると、昔ある形だったものが、今はこういう形になっているということを、時間と感じるのである。よく使われる「水と波」の譬えで言えば、波がある形だったのが、次第に変わっていくのを順に辿っていくと、変化した、時が経ったということになるけれども、水は水のままだから、変化を超えており、そういう意味で時間を越えている。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P210

道元の覚りに到る方法

僧侶

「把定し放行す」

あるときには(言葉を使って)徹底的に考え抜いて把握する。あるときにはすべて忘れてしまう

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P274

どこかでわかった、これで終わりというのは、覚りではない。覚ったという気がしても、まだ覚る、まだ覚ると果てしなく覚っていく。無限の諸法の多様性をすべて次から次へと学んでいく。終わらない学び、終わらない覚りこそが覚りなのだ、学びなのだ。どこかで完結、終了するなどと考えると、それは全然本当の究尽、唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)の究尽の覚りではない、と。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P275

数限りなく、百千万億回くらい仏になる、また仏になる、また仏になる。それが「作仏(さぶつ)」である。

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P284

人間主体・自我が門に入ろうとか出ようとかすると、ますます門から遠ざかってしまう。そうではなく、どうするかというと、「門を挙して人にいるるには」、門のほうから人間に入ってくるようにしてもらうと、出たり入ったりできるのだ、と。つまり「私」が宇宙と一体化すると思っていると入れないが、宇宙がすでに私と一体になっていることに気がつくと、そこに入れる

— 《道元のコスモロジー》岡野守也、P296

参考1:禅語「柳は緑、花は紅」
悟りの心境、ありのまま。
参考2:唯物与仏(ゆいぶつよぶつ) 
ただ仏と仏とのみの世界をいったもので、仏教の最高の境は、仏と仏とのみが知り得る世界であるというのを、「唯仏与仏の境界」という。(世界宗教用語大辞典より)

終わりに

随分と長くなってしまいましたが、
いかがでしたでしょうか?

これはあくまでも「悟り」に対する一つの見解として、
捉えるにとどめておいたほうがよいと思います。

総 評

  • 読みやすさ
  • わかりやすさ
  • コスパ
  • 啓発度
  • 信頼性
  • 即効性
  • 実用度
3.9

総 評

良いも悪いも、
岡野さんは噛み砕き方が秀逸。
その他岡野氏の著書はどれもおすすめ。

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