「決定論」と「運命論」

決定論、運命論とは何か。

上記の定義に関しては、
以下wiredの記事を参考にさせていただく。

決定論・・・ある出来事はその出来事の原因によってのみ条件付けられる
運命論・・・人間の意志とは無関係に出来事があらかじめ決められている

この定義を踏まえ、
次の記事をご紹介。

霊能者による未来予知

町田宗鳳さんのブログ記事より、
霊能者による未来予知の話。

個人的な推測にはなるのだが、
その当時の町田氏にとっては、
将来的に「富士」を拠点に活動すること自体考えてもみなかったことではないか。
これは「人間の意志とは無関係な」運命論を想起させる。

こんな関連記事も書きました↓

人の未来は既に決定しているのか

果たして、これから起こる未来はすべて決まっているのだろうか。

もう一度、決定論、運命論についておさらいしよう。

決定論者の立場(「ある出来事はその出来事の原因によってのみ条件付けられる」)は、
今この瞬間の行い(原因)が未来を動的に書き換えている(結果)という自由意思を肯定する主張であるのに対し、

運命論者の立場(「人間の意志とは無関係に出来事があらかじめ決められている」)は、
「神のきまぐれ」による偶然性によってすべてが支配されているという説もあれば、一方で袖すり合うも他生の縁という故事があるように、来世や過去世まで含めた因果関係が現世へと反映されているという、別次元を肯定する見方もあるようだ。

因果論の終焉

自分の見解としては、決定論と運命論のミクスチャーのようなもので、
身に降り掛かってくることは偶然ではなく、何らかの原因があっての結果であって必然ではあるが、
それは次元を超えた因果の影響も含みつつ、
いまここで常に書き換え続けられていると考えている。

あらゆる次元が交差するアンカーとしての私。
未来、過去、現在、あらゆる情報の結晶としての私。

因果同時的な世界観
天台思想で言うところの「一念三千」。

そもそも原因にも原因があって、その結果もまた原因にもなることから
因果論なんてただの言葉遊びに過ぎない。

人生を「線」ではなく、「点」で考える

もはや、人生を線で考えることを止めてもいいかもしれない。

点で考える。

刹那的な世界観、これぞ仏教的視点。

未来・現在・過去。
これは線的な見方。
それを壊す。

点で捉えることが大事。

なぜなら、いまこの瞬間が原因であり結果なのだから。
原因即結果、結果即原因。

結論

この先人生をどう切り拓いていくか、
自身の運命をどう切り拓いていくかは、

いまこの瞬間にすべてがかかってるんだよね。

いまこの瞬間の積み重ねによって運命は変えられる。

「霊視されたビジョンさえも一変させようではないか!」
そのくらいの気概を持つことが大事。

関連書籍

哲学者による運命論の見解。

町田宗鳳氏の著作

波乱万丈の人生録。

雑誌「wired」

近未来を予見するワイアード。

 

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あとがき

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