「足るを知る」とは我慢することではない
どうも空心です。
少欲知足なんてよく聞きますが、
これ結構間違って捉えられやすいんですよね。
大抵は、「清貧に」「ものを大事に」「いまあるもので十分」といったある種の倫理規範のような受け止め方がほとんどのような気がします。
解釈はそれぞれあってよいのですが、
上記のような解釈ではどこか自分を窮屈にしてしまいがちです。
では、「知足」(足るを知る)の本当の意味するところは何か。
下記の本の意訳が秀逸でしたのでご紹介します。
「知足」という考え方は、例えば「今あるもので我慢する」みたいに消極的に受けとめてはいけない。これはいわば、自分という存在に「全てはすでに与えられている」「だから足りているのだ」という、ある種の信仰なのである。
— 《マンガ仏教的生き方―真理と実践の方法》蔡志忠、p88
たとえ今現在が満ち足りていないように感じているとしても、
本当は満ち足りている。
何事も「比較する」ことから渇望が生じるわけで、
比較することがなければ二項対立はなくなるというわけですね。
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・・・
・・
だからって実際はどうなの?できるの?って話ですよね。
ふむ、確かに。
「そんな大局の立場に立てるわけねぇだろ!ゴラァ!(#`Д´)凸 」
そんな声が聞こえてきそうですね。
では僧侶である私は満ち足りているのか?
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・・・
・・
「うん、全然足りてないね。」
とはいえ、「物は考えようかな」と。
ささやかながら自己顕示アピール。( ー`дー´)キリッ
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