ティヤール・ド・シャルダン(1881~1955)はフランスの司祭であり、哲学者であり、古生物学者でもある。
今回は、みすず書房より出版された「愛について」より、彼の考えるところの「愛」を読み解いていくことにします。

ティヤール・ド・シャルダンはこんな人↓

以下の本を参考↓

オメガ・ポイント説とは?

ティヤール・ド・シャルダンは、宇宙の進化と愛のエネルギーの関連について、以下のように語っています。

「この(愛という)エネルギーはその本質において、
形成途上にある宇宙の中心から意識を有する
各構成要素にたいしてはたらく
引力にほかならないのではあるまいか?
その実現が自然のなかで現在進行中の
唯一の主要事とされるべき大いなる統一への
呼びかけ
ではあるまいか?」(P72~)

これが彼の有名なオメガ・ポイント説です。

WIKIPEDIAの解説ではこのように記述されています。以下。

人間は、意志と知性を持つことより、
ビオスフェア(生物圏)を越えて、
生物進化の新しいステージへと上昇した。
それが「ヌースフェア(叡智圏)」であり、
未だ人間は、叡智存在として未熟な段階にあるが、
宇宙の進化の流れは、叡智世界の確立へと向かっており、
人間は、叡智の究極点である
オメガ点(Ω点、Point)」へと進化の道を進みつつある。

「性愛」の役割とは何か?

彼の唱えるオメガポイント説を踏まえた上で、「性愛」の役割を見ていくこととします。

「愛は、創造的統一という一般法則に即して、
それが接近させるに二存在(男女)の精神的分化の奉仕する。
したがって、一方が他方を吸収すべきではないし、
ましてや双方は、多性への失墜と
虚無への回帰を意味する肉体的所有の逸楽のなかで
自己を失ってはならない。

(中略)
愛は冒険に満ちた征服である。愛は宇宙自体とおなじように、
たえざる発見によってしか成り立たないし、成長もしない。
したがって、情熱がふたりを、その双方を介して、
彼らの存在のより高次な所有へと導いてゆく者たちしか、
本来の意味において愛し合っていないことになる。」(P81~)

さらに彼は警告します。

「たとえ彼らが、陶酔や安息と言った
逸楽的誘惑を克服するに成功したとしても、
あたかも彼らがふたりだけの位置宇宙を構成しているかのように、
未来の約束を彼ら二人の相互的発見に限定しようと努めるのである。」(P83~)

二人の世界に浸ってはいけないということ?でしょうか。

では一対の男女がさらに成長するためにはどのような精神態度を育んでいかなければならないのか?

「世界の性別ある構成要素が人格性の段階に
到達しないあいだは、子孫というものだけが、
生殖の行為者が何らかの形で自己を延長してゆく現実を
代表することができた。しかし、愛がもはや両親のあいだのみならず、
二個の人格のあいだにも作用しはじめるやいなや、
単に彼らの種族のみならず彼らの人格性をも同時に保持し完成してくれるような究極が、
多かれ少なかれ漠然としたかたちであっても、
愛する二人の前方に姿を現わされなければならなかったのである。
そのとき、われわれがすでにその変転を跡づけた≪前方への落下≫がふたたびはじまる。
われわれは徐々に近づきつつ、世界の終局まで赴かなければならない。
そして最後に、愛の強化に必要なものとしてあらわれてくるのは、
子供であるよりもはるか以上に、全体的中心それ自体なのである。
愛は、男性と女性と神とを有する働きである。その完成と成就のすべては、
この三つの要素の調和的均衡にかかっている
のである。」(P84~)

「神」という宗教的な言葉の登場に多少なりとも引っかかりを覚えますが・・・。
つまりは「外へと開きつづけること」、それが究極の完成(オメガ・ポイント)へと進化する生物が携えるべき理念であると彼は言います。
この答えでは「あまりに壮大すぎてちょっとぉ・・」なんていう消化不良の声があがることは否めない気がします。

ティヤール・ド・シャルダンの思想に興味のある方は、天外伺朗さんの本なんかおすすめです。科学と宗教の統合をさまざまな角度から試みる天外さんの本は参考になるかもしれません。

総 評

 

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